長女というものの宿命

まどのそとのそのまたむこう

今回は、先日お約束したとおり、センダックのこの本をご紹介しましょう。
まず、この本の、聖画のように美しいタッチに魅かれます。「まよなかのだいどころ」とは全く異なる画風。

主人公アイダが、幼いながらも感じる「姉としての責任感」に、同じく長女である私は、子どもの頃の自分を思い出し、懐かしさといじらしさを感じます。

まどのそとのそのまたむこう (世界傑作絵本シリーズ)

モーリス センダック 福音館書店 2006-03
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by ヨメレバ

妹のおもりばかりはしていられず、妹を「見ないで」ホルンをふき始めてしまう=”自分のあそびを始めてしまう”アイダ。
その間にゴブリン達に誘拐される赤ちゃん(主人公アイダの妹)の姿を見ると、なぜか私の中では日本の童謡「とおりゃんせ」が流れ始めます。

昔、乳幼児の死亡率の高さから、日本では7才までの子どもは”いつ天に返さなくてはならないかもわからぬ神の子”とされていた点や、ゴブリンの誘拐が”死の世界に子どもを旅立たせてしまい、この世に戻せない状況”を想起させるためでしょうか。

まだ「異界」にも属していて「現実」の世界にしっかり根付いていない幼子。”誘拐していったゴブリン達が、実は妹と同じように福々しい「赤ちゃん」の姿をしている”という、異様な展開にも惹かれます。

アイダはパパとの絆によって見事に妹を見つけ出し、「異界」から「現実」に連れ戻します。それからは、パパに言われたとおりに妹と、そして「自分の母親」をも守りながら、パパの帰りを待つのです。

「季刊 子どもと本」では、「かいじゅうたちのいるところ」「まよなかのだいどころ」同様、子ども達が日常の中で、心の中での冒険-心の葛藤-に勝利をおさめ、「無事帰ってくる」物語だと紹介されています。

ゴブリンは無意識の象徴。無意識との接触は、もうひとりの自分または自分の可能性とも言えるものだから。ユングの考え方に近いのだそうです。

私は心理学には詳しくありませんが、「長女として下の兄弟を守ってあげなくてはならないという責任感」や「下の兄弟を愛おしみつつも、ときに鬱陶しく感じ、自分だけの世界を満喫したくなる気持ち」はよくわかります。
長女は、小さな母親なんですね。

ちなみに、母が愛するこの本は、赤ちゃんの頃の息子の大のお気に入りでもありました。特にゴブリンが好きで、本の中にゴブリンが登場するたびに大喜びで”Goblin!”と言いながら指さししていたものです。
全体を包む不思議な雰囲気のほか、福々しい赤ちゃんがたくさん登場するところも魅力だったようです。「赤ちゃん」は「赤ちゃん」が好きですからね。

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